人生、ゆたかになる方へ

34歳妻子2持ちの心のモヤモヤ発射基地です

全力

スポーツの世界、特に水泳や陸上では試合で全力を尽くさないことはまずあり得ない。結果が明白だから。

こと、仕事はどうか?どこで全力を尽くすか、何を持って全力とするかは人それぞれだ。

多くの人が全力が何かを知らず、自己満足の範疇で仕事をしている。楽をしている。

 

結果、時間を浪費し、定年間際になって何の足跡も残せてないことを認識するのだろう。何も考えずただ浪費を続けてきた人にはその感覚さえ得られず死んでいくのかもしれない。

はて、自分はどうか。

 

そんな生き方はごめんだ。

豆腐メンタルから、高野豆腐メンタルへ。次の仕事を掴みに行く。~その①~

こんちわ。

 

今の心もちを天気に例えるなら、

グレー一色の空。時より爽やかな風が吹いて雲が捌け、顔を見せる太陽がある。

といった具合だろうか。

 

こんなに惨めな気持ちに苛まれるのはいつぶりだろうか。

頭の中はいつものネガティブループ。もう存在意義なんか考え出す始末。

そう、結構キテいる。

それでも自分を保っている。家族という太陽が毎日朝夕、

僕を照らしてくれているから。やっぱり人は日光が必要だ。

 

書き出しからモヤモヤ感満載だけど、今に至るまでの経緯と、

これからのことをつらつらと書き出してみようと思う。

 

こんな状況になることは目に見えていた

そう、今に始まったことじゃない。

僕は小学生のころから、豆腐メンタルなんだ。

(この言い方って豆腐屋さんに失礼な気が・・・)

 

豆腐メンタルエピソードは割愛しつつ・・・ここ最近の自分は・・・

 

上司に軽く詰められたり、誰かの悪口を耳にしたり、自分もこうやって

言われてるんじゃないかと想像してストレスが溜まると、

決まって布団に潜って、『熱がでたので休みます』と電話している自分。

段々話したくもなくて、LINEとメールで済ませようとしたりもしている。

連絡が遅くなると、会社から電話かかってくるけど、1回目は恐怖で出れない

なんてことも。。人間不信×豆腐メンタルってとこなんですかね。

 

あぁ、今朝のニュースでテキストで休みの連絡をしてくるやつ

なんて信用できないし、自分の部下だったら”診断書を出させる”

なんていうコメンテーターがいたな。

 

確かに、経営者とか会社を守る立場の人だったら、

信頼を置けないような人材はいらないよね。

 

でも、たまになら休む理由が嘘であってもいいんじゃないかな?

きっとそのサボりがリフレッシュに繋がって後の業務生産性を上げたり、

新しいアイデアのキカッケになったりすることだってゼロではないだろうから。

ただ無益なことに時間を費やすばかりで、一切の向上がない状態を

繰り返すことはあってはならないけど。

それこそ給料泥棒と言われても仕方がない。会社を追われてもしょうがない。

そこんとこの線引きはお上の人からしたら難儀なことと理解はするけど。

 

一方で、実直に、世のため人のため、会社のために力を尽くそうとしている人は

もっとやれるのに!まだまだやらなきゃ!って思えば思うほど

心が裏腹で、ちょっとついていけなくなっちゃうんだよね。

 

僕はいわゆる『誠実』に仕事をやってきたつもりだけど、

今、心がついていかなくて、休みがちな状況にある。

在宅勤務でパソコンを立ち上げても『あれもやらなきゃ』

『不具合対応を先にしなきゃ』『まだこっちも終わってない』といった具合に

パニックで全く手が動かない、まさに負のスパイラル状態。

積もる焦り、高まる脈、思考停止、自己嫌悪、頭痛、その先の現実逃避。

 

 

結局、上司との電話で軽く今の心の状態を打ち明け、

仕事はまるっと同僚に引き継ぐことになり、

僕は仕事はしなくていいと。

 

 

いきなり空虚に襲われた。むなしくなった。

自分の無力さに呆れた。惨めな気分になった。

何より同僚に迷惑をかけている自分が腹立たしくなった。

 

こんな結末がくることが来ることはわかっていた。

助けを求められなかった。独りよがりだった。

歪んだプライドのせいで。

 

賢く見られたい、自分の成果にしたい、褒められたい、

そんな中身のない欲が僕のプライドだった。

 

だから、いずれこの状況を招くことはわかっていたんだ。

 

 

<<続く>>

そうおもったらそう

鴨さんのことばだ。

いつだってどんな時だって、目の前で起こることは偶然じゃない。

ポジティブ、ネガティブ、どれも自分の心が映し出したリアルだ。具現化されることは心の中で無意識もしくは有意識で描いているもの。

ネガティブに惑わされ、ポジティブに酔い狂う。

 

一喜一憂なんて一喜一喜に変えられる。

 

そう、全ては自分の思うがまま。思った通り。

そう思ったらそうなのだ。

 

オシャレにあえてならない理由

服の断捨離をしていてふと思った。

オシャレになりたかったこともあったなと。

手放す服達は自分のセンスで選んだもので他人から見ればさしてオシャレじゃないだろうし、買った時は味付けして、背伸びして買っている。

特別な時しか着ないので、その内着なくなる。タンスの肥やしの出来上がりだ。

 

なぜ人はオシャレをするのか。

オシャレを仕事にしている人やそもそも好きな人、他人に良く見られたいと見栄を張って背伸びしている人、千差万別。

まず衣食住、服が無いと社会生活が送れない世界。どうせ着るならオシャレで気分を上げて貰える方が良いってところなのかな。それとビジネス。

たまに着るお気に入りは確かに服にさして心がない自分でも気分が晴れやかになるものだ。

 

オシャレから放れるのは、当たり前だけど誰のせいでも無い。オシャレする理由が、他人の目を気にしての事だったと気付いたから。ただでさえセンスに欠ける自分。選んでお金を出して買って、コーディネートに苦悩して、他人の見えない評価に怯える。

それと脇汗ジミにも。

 

つまらんなと思った。いわゆる、仕事にしてる人や服が好きな人、ではないから。

だったら服は極限までシンプルに。数少なく。

それでいい。

 

他人の評価を気にする自分とはオサラバ、だ。

あースッキリしたー

 

 

 

 

パラリンピックは結局ほとんど見なかった

最初はテレビを見てNHKでしか放送していない事に嫌気がさした。メディアはやっぱり視聴率が取れなきゃ放送しないのかと。裏を返せば国民が興味ないということ。

腹が立った。そんなのある種の差別じゃないか。

 

でも、蓋を開けてみると自分も見ていなかった。

見るのは民放が映すパラリンピックの結果映像。

今度は無性に自分に腹が立った。

表裏のある自分が嫌いだ。

 

子供達よ、見習わないで。。

まったく自分には呆れる

いつまでお子ちゃまなんだ?

奥さんを困らせて楽しいのか?

何も言わずにずっと笑顔でいる奥さんが妬ましいのか?

そんな感情は捨てろ!良くされて妬むやつがどこにいるのか。自分に出来ないことをする人を嫉妬する前に尊敬しろ!感謝しろ!

バカにも程がある。

 

明日からしっかり!おれ。

怒りの果てに

怒りの果てはあるものは何か。

それは後悔と無ではないか。

 

目の前で起きた出来事に一喜一憂するのは簡単だ。体の奥底から湧き上がる感情の波に抗うことなく、言葉や身体をうならせるだけなのだから。

 

特に怒りの感情は一際楽なものだろう。ボルテージが高まり、声が大きく、顔が赤らんで、身振り手振りが激しくなる故、一見して大そうなエネルギーを使っている様に見えるが、湧き上がる感情のビッグウェーブでサーフィンしているだけ。気持ちよくなっているだけなのだから。

 

怒りは何も生まない。強いていえば、怒りを悔しさに変換出来た時に行動を強く押すモチベーションになるぐらいか。

怒りを包み隠さず出すということは、相手を上から圧力で支配しようとしている現れであり、とかく側から見ると惨めなものだ。冷静になっても尚気持ちよくなっている様では救いようがない。

 

大人たるもの自分を客観的に見て、心のセルフコントロールをしていきたいものだ。