怒りの果てはあるものは何か。
それは後悔と無ではないか。
目の前で起きた出来事に一喜一憂するのは簡単だ。体の奥底から湧き上がる感情の波に抗うことなく、言葉や身体をうならせるだけなのだから。
特に怒りの感情は一際楽なものだろう。ボルテージが高まり、声が大きく、顔が赤らんで、身振り手振りが激しくなる故、一見して大そうなエネルギーを使っている様に見えるが、湧き上がる感情のビッグウェーブでサーフィンしているだけ。気持ちよくなっているだけなのだから。
怒りは何も生まない。強いていえば、怒りを悔しさに変換出来た時に行動を強く押すモチベーションになるぐらいか。
怒りを包み隠さず出すということは、相手を上から圧力で支配しようとしている現れであり、とかく側から見ると惨めなものだ。冷静になっても尚気持ちよくなっている様では救いようがない。
大人たるもの自分を客観的に見て、心のセルフコントロールをしていきたいものだ。