人生、ゆたかになる方へ

34歳妻子2持ちの心のモヤモヤ発射基地です

言い訳探しの妄想

何か達成すべき目的があって、それは自発的でも命令的でもどちらでもよくて、その達成の為には少なからず努力や根気といった類の言葉を行動に変換していく必要がある。

それらは高校時代に置き忘れてきたことに気付く。思考したことを行動に変換すると必ずと言っていいほど回避行動をとる。

自然と言い訳を実行に移しているわけだ。

実につまらないことに労力を注いでいることは自覚していても、楽な方に流れてしまう。傷付くのを恐れている。本当はみんなと同じ方向を向いて笑顔で走りたいのに、皆んなと逆の方へ真面目な顔して、息を切らして、あたかも喋りかけないでと言わんばかりに走っていく。

 

こんなんでいいのだろうか。

家族がいれはそれだけで良いのだろうか。

 

心に効く言葉

心を病んでいる人は自分が賢いとか、正しいと思い込んでいる事がよくある。自分の殻に閉じこもり自分が正しいと言い聞かせ他人のアドバイスを受け入れない。

 

まさにそうだ。どちらかと言うと阿呆である自分が嫌で、スマートでありたいと理想だけ高く掲げてしまっているが故、うまくいかない時の自己嫌悪が止まらないといった具合。コンプレックスを自助努力なしに解決しようと思っている正にとんでもない阿呆だ。

 

誰もお前の正しさや賢さなんてみてない!

素の自分で何が悪いんだ!それがお前だろ!着飾るから疲れるんだ!自分に失望するんだ!

ひたすらに努力しろ!光を掴むまでもがけ!

 

 

ストレス

ストレスというのは厄介だ。心と身体の悲鳴を感じる。幸い身体の方は母に強く生んでもらえたらしく風を拗らせて寝込むなんてことは滅多にない。オリンピックよりもやって来る回数はすくないだろう。

ただし、心と心臓はそうもいかない。

明らかにストレスでダメージを受けているのがわかる。このままでは早死にしてしまう予感もある。

勘ではあるが確かなものだ。心が訴えてくる。

 

特段やりたくない事をやって得るものはストレスとお金だけ。このままでは時間と心身を浪費してしまう。子供達に胸を張れない父ちゃんになってしまう。

 

自分が誇れる事を仕事にしよう。誰かの為に時間を使おう。それが自分の正義だ。生き様だ。やりたい事だ!さすれば、過大なストレスは消え去るだろう。

 

心の余裕

時間の使い方が下手くそなのは知ってた。要領が悪いのもずっと前から知ってた。

 

やる事ばかりが嵩んで、消化し切れず、結局すぐに心がいっぱいいっぱいになるんだ。

そんな心でやってたら、ミスを引き起こす。小さいことから大きなことまで。毎日止めどなく。

病気なんじゃないか。そう思う自分がいる一方で病気のせいにして逃げようとするな、と繋ぎ止める自分もいる。いっそ落ちるところまで落ちれば楽なのに。

 

心の余裕の作り方を誰か教えて。。

何がしたいんだ俺よ。どうしたいんだ俺よ。

荒天的人生

しょうもない33歳になってしまった、と思う。

 

幻影をみている。いつか巨大な何かに影響を受けていい方向に向かうと思っている。外からの刺激を、漫画みたいなトリガーを。現実を受け止める器が僕にはない。弱さを克服しようとする強さがない。他人は他人と割り切る心がない。自分に打ち勝つ根性もない。

ないものを挙げるのは得意らしい。非力な自分を卑下して落胆するのも得意らしい。

責務を全うせず、闘っている人をディスプレイ越しで見ながら羨むのも大の得意らしい。何の努力もせず、逃げ回り悲劇の主を演じるのに長けてしまった自分を殺したい。

33年間、生きてきた中で何が誇れるだろう。子供達に誇れることが思いつかない。チャンスをドブに捨ててきたことへの後悔を伝えて反面教師にでもしろ、とでもいうのか。

 

どう自分の人生を全うするか、今考える時なのだろう。真面目を装うのはもうやめて。

 

 

弱音

どうも、こんばんは。

 

弱さを克服するために、弱さを吐露することも大事だよね?

 

自分のことをよくわかってないのだろう。

時間に追われてばかりいる。

いつまでも、いつまでも。何年続いてきたことか。

時間に追われては焦り、失敗し、振り返る間もなく

また時間に追われ同じ失敗を繰り返す。

時間とお金の損失は計り知れない。

この33年間での累積損失たるや、直視できないレベルでなかろうか。

このままでいいのか。このままではだめだ。

 

そんなこと百も承知だろう?ここで宣言したところで

誰も何とも言わないと思って怠けているのだろう?

 

お前の心は何を求めている?お前は何者になりたい?

気付いてるなら、今やらまいか。

まだまだ間に合う。まだまだやり直せる。

まだまだかっこいい父ちゃんになれる。

 

自分の信じた道を進め。心を燃やせ。

 

ほいじゃ、また。

 

 

 

何者でもないから何者にでもなれる

どーもこんばんは。

 

何者でもない人間であるから、何者にでもなれる。

何者かになっても、何者は1つではないのだから、

1つと決めつける必要はない。

 

 

これまで宣言してきたことを少し俯瞰的に考えることがあった。

決めたことを実行や継続できていないのは、熱い感情に心が埋め尽くされていた

時に決めていたからではないか。

どうも心が高ぶっているときはやる気に満ち溢れているので、

必ずやり遂げる、やり続けられると幻想に惑わされ突き進んでしまう。

実際にはこれまでがそうだったように気合や根性では継続性を維持する

ことが難しいわけなんだが。

 

計画せぬままに無鉄砲に走りだし、走りながらで計画を立てればいいと

いわゆるマルチタスク状態を将来に期待してしまっているところがある。

 

体力がない中にあって、ランニングしながら数学の問題を解くようなもので

当然、あまりのキツさに走るのをやめてしまう。

足が止まると、呼吸を整えるのに必死で何の問題を解いていたのかなんて

二の次になる。二の次のあとは、無だ。きついことを知った体と脳は

それを避けるようになる。

 

つまるところ、気合に任せていては現実はついてこないのだ。

 

 

自分が何者になりたいか、どう人生をいきていきたいのか

少し冷静に心と相談していきたいと思う。

それから計画に落とし込んで行動に移していけばいいじゃないか。

遅すぎるということはない。

 

ほいじゃまた。